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あしたも天気になぁれ!

玲夢と六華の成長記録 & 徒然日記

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大震災が起こった日 2011(平成23年)3月11日 午後2時46分

 21, 2011 15:38
震災から10日が経ちました。


緊急地震速報を知らせる装置がある我が家は、「地震です。震度〇、何秒後・・・」
この声がすると、六華が怖がります。玲夢は吠え出します。
誰かに抱っこされると落ち着きのですが、六華はそれでも震え続けます。
あの日の恐怖が未だ心の中に残っているのかもしれません。

大震災が遭った日
私は丁度来週の検討会の準備をする為に、レーザー治療室で準備をしていた時に、ユラユラ揺れ始め、最初は「眩暈?」と思ったほどでした。しかし、なんだか眩暈とは違う・・・もしかしたらこれ地震?
それがあの大震災の始まりでした。

その後、これが国内観測史上最大のM9.0の地震が発生だった事を知りました。

大津波により、多くの方々が犠牲になりました。

自宅には玲夢と六華と階下には両親が居ました。
大きな揺れでしたが、玲夢と六華はそんな騒ぐ事無く「おりこうさんだったわよ。」と言われましたが、私達が居ない時にあんな大きな揺れに驚き、声もでなかったのではなかったのではないかと、今になって思います。

リビングにあるピアノが少し前に移動、小型の液晶テレビとプリンターが床に落ちていましたが、大きな水槽などは無事でした。本当によかったと思いました。

もし、あの水槽の棚が落ちたりしたら・・・
そこのもし、玲夢や六華が居たら・・
そう思うだけで、ゾッとします。

他の部屋、キッチンなど少し物が落下はしていましたが、大事には至りませんでした。

しかし、あの震災以降お留守番の時は、玲夢と六華はケージの中でお留守番をしてもらう事にしました。
窮屈で可哀想かもしれませんが、揺れがもっと大きく、物が落下中、逃げ惑う事はとても危険。

110211-1.jpg


そんな事を考えると、大地震の時は、できればいつも一緒に居たいと思いますが、それが出来ないのなら・・・
まだまだ、余震も続いていますからね。



あの日、大震災後には、電車が全線止まり、最終的に電車は終日止まると事が決定。
主人、娘2人は帰宅難民になりました。

長女は職場が通勤時間1時間以上掛かる所にあり、途中までは職場の人と歩いて帰ってきたものの、それ以上は無理だと判断。携帯より連絡が入りました。しかし、夜、何処で過ごせばよいかわからず、とても不安だったようで、何度も連絡が入りましたが、私も初めての事で、途方に暮れてしまいました。

主人から、駅近くに退避できる所が開放されているらしいと聞き、早速その事を娘に伝えましたが、最寄の駅 東京駅近くで何処が解放されているかがわからないまま、「もうすぐ、携帯充電やばいかも。」とメールが届き、こちらの心配は増すばかり。その後、暫くしてメールで「国際フォーラムに退避できたから。」と。フォーラムで一夜を過ごし、早朝動き出したメトロを乗り継いで、漸く帰宅しました。

主人は会社より早めに退社。只管歩いて、1時間半掛けて帰宅。

次女も徒歩で帰宅。しかし、なんせ道がいまいちわからないというので、途中まで迎えにいきました。多くの方々が歩いて帰宅する中、逆行して娘を迎えにいきました。

娘の顔を見た時は、本当にホッとしました。

その間も余震は何度もありました・・・

家族が全員自宅に戻ってきたのは 大震災の次の日の朝でした。

家族が全員一緒に居る事が、普段なら当たり前の事が、あの朝はとても<幸せ>に感じた事は言うまでもありません。


余震が続く中、不安も持ちながら、家族全員それぞれに仕事に行ってます。

朝の通勤は、電車の本数が普段の何十%も減少や、運休だったりして、想像以上に混み、出勤するのも大変ですが、1人1人が自分の役割を果たす事が、大切な事だと思うから、私達が今できることの1つだと思うから・・












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